日本近代資本主義の父といわれる渋沢栄一をもってしても経営悪化で頭を悩ませる会社があった。明治6年に自身が創立した「抄紙会社」だ。この会社を救ったのが大川平三郎という人物である。
大川は渋沢の甥にあたり13歳で渋沢の書生になった。記事によると渋沢は大川に自身を「殿様」と呼ばせていたそうだ。大川の仕事は専ら掃除や身の回りの世話だったようだが、仕事を終えた後は「壬申義塾」へ通い、余暇を見つければ英語を独学する毎日を送っていたという。しかし、渋沢に借金を無心する父母を罵られ16歳で渋沢家を出ることになる。そして雇われたのがこの「抄紙会社」で大川はそこで一工員として働き始める。
20歳になった大川は「抄紙会社」の経営状況を知ると「建白書」を渋沢へ提出。その内容を読んだ渋沢は、「殿様」と呼ばせていた一工員が的確に改善策を展開していく内容に驚愕、自らを反省したという。結果、渋沢は大川をアメリカに出張させ現地の製紙会社で職人として学ばせている。
1年半後、帰国した大川は技術者の中心として「抄紙会社」の改革を実施、それまで一日3千ポンドだった洋紙製造を1万5千ポンドまで向上させ経営を改善している。「抄紙会社」、後の王子ホールディングスの礎はこうして作られた。そんな記事だ。
個人的には一工員を海外出張させたことが興味深いと思う。当時は大変高額だった筈だ。1年先、2年先、否もっと先々を俯瞰して出張させたに違いない。「建白書」を勇猛果敢に「殿様」に提出した大川、将来を見据えて即決で「アメリカ出張」を指示した渋沢、2人に共通するのは積極的な姿勢だ。それが清々しい。当時に見られるリスク覚悟で行動する精神は若干、今の日本に欠け始めているのではないか・・そんな気にさせられる。
大川は当該会社を離れるが、その後も製糸業に深く関与し続け「日本の製紙王」と呼ばれるようになったという。渋沢の目利きは確かだった。
※記事はTKC会報誌「戦略経営者」による。
日本ジェノス株式会社
経理部長 荘司享利
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「食と合わせてこそ輝くお酒」という発想で、
“ワイン=洋食、日本酒=和食”という概念にとらわれない
自由な提案をさせて頂きます。
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日時: 2015年10月6日(火)11:00~18:00
会場: 品川プリンスホテル メインタワー宴会場34階 ルビー34
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