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2015年9月25日金曜日

渋沢栄一と大川平三郎

興味深い記事があったので紹介したい。 

日本近代資本主義の父といわれる渋沢栄一をもってしても経営悪化で頭を悩ませる会社があった。明治6年に自身が創立した「抄紙会社」だ。この会社を救ったのが大川平三郎という人物である。

  大川は渋沢の甥にあたり13歳で渋沢の書生になった。記事によると渋沢は大川に自身を「殿様」と呼ばせていたそうだ。大川の仕事は専ら掃除や身の回りの世話だったようだが、仕事を終えた後は「壬申義塾」へ通い、余暇を見つければ英語を独学する毎日を送っていたという。しかし、渋沢に借金を無心する父母を罵られ16歳で渋沢家を出ることになる。そして雇われたのがこの「抄紙会社」で大川はそこで一工員として働き始める。 

 20歳になった大川は「抄紙会社」の経営状況を知ると「建白書」を渋沢へ提出。その内容を読んだ渋沢は、「殿様」と呼ばせていた一工員が的確に改善策を展開していく内容に驚愕、自らを反省したという。結果、渋沢は大川をアメリカに出張させ現地の製紙会社で職人として学ばせている。
  1年半後、帰国した大川は技術者の中心として「抄紙会社」の改革を実施、それまで一日3千ポンドだった洋紙製造を1万5千ポンドまで向上させ経営を改善している。「抄紙会社」、後の王子ホールディングスの礎はこうして作られた。そんな記事だ。 

  個人的には一工員を海外出張させたことが興味深いと思う。当時は大変高額だった筈だ。1年先、2年先、否もっと先々を俯瞰して出張させたに違いない。「建白書」を勇猛果敢に「殿様」に提出した大川、将来を見据えて即決で「アメリカ出張」を指示した渋沢、2人に共通するのは積極的な姿勢だ。それが清々しい。当時に見られるリスク覚悟で行動する精神は若干、今の日本に欠け始めているのではないか・・そんな気にさせられる。 

  大川は当該会社を離れるが、その後も製糸業に深く関与し続け「日本の製紙王」と呼ばれるようになったという。渋沢の目利きは確かだった。


   ※記事はTKC会報誌「戦略経営者」による。


日本ジェノス株式会社
経理部長  荘司享利



ジェノスグループからのお知らせ

「秋から年末商戦2015~食と共に~」をテーマに試飲展示会を行います。

弊社主力製品のワインだけでなく、日本酒の展示にも力を入れております。
「食と合わせてこそ輝くお酒」という発想で、
“ワイン=洋食、日本酒=和食”という概念にとらわれない
自由な提案をさせて頂きます。

日時: 2015年10月6日(火)11:00~18:00
会場: 品川プリンスホテル メインタワー宴会場34階 ルビー34
     〒108-0074 東京都港区高輪4-10-30
      新幹線・JR線・京浜急行線 品川駅(高輪口)より徒歩約2分

出展数:ワイン23社、日本酒15社、飲料1社

是非ご来場くださいませ。

詳細はこちらから↴

2015年9月19日土曜日

秋の夜長に・・・

秋ですね。食欲の秋・スポーツの秋・アンジェラアキ。

というわけで、読書の秋に私がお薦めの一冊。。

広瀬正 著 『マイナス・ゼロ』(集英社文庫)

舞台は太平洋戦争末期と東京オリンピック直前(昭和38年)の東京、そして昭和7年の東京。空襲で死亡した隣に住む先生との約束を守るためにある家を訪問した主人公は、そこでその先生の娘と18年ぶりに再会、モンペに防空頭巾という格好で年齢も当時のままにしか見えないことに疑問を感じ実は・・・・・というのが発端で、タイムマシンを利用して過去に遡った主人公が思わぬトラブルにという展開のお話です。

詳細に綴られた昭和初期の東京銀座の様子や当時の風俗は作者自身の当時の東京に対するノスタルジーであり、一瞬登場する小学生の頃の作者本人は、自分の映画にワンカットだけ登場するヒッチコック監督のようでニヤリとさせられます。

作者は、47歳で亡くなっており、またSFが日本では不遇をかこっていた時代でもあり、作品はわずか6冊しかありませんが、もっと色々書いてくれていたらなぁと思います。
短編の「化石の街」という自分だけ周りの世界と時間の進行速度が違う話も印象的。

同じ作者の『エロス』という作品(タイトルと違ってエッチな話じゃないですよ)は現実の過去と、あったかもしれないもう一つの過去のお話で、これまた最後にあっと驚く為五郎なストーリーなんですが、ある場面で『マイナス・ゼロ』の登場人物がちらっと出てくるんですねぇ。合わせてお読みいただければ。

日本ジェノス株式会社
総務部 河村 行彦

2015年9月14日月曜日

ツイてる時、ツイてない時

就活生の皆様こんにちは。
本日は最近、私が想う事を書いてみようと思います。
よく仕事などで失敗した時に「ツイて無い」と思ったりまた、成功した時には「ツイている」
などと考えたりし、日々一喜一憂しておりました。
ただ最近、考えた方を少し変えてみることにしました。
楽しい時には「ツイている」沈んでいる時には「ツイていない」
そのように考え方を変えて見ると、必然と考え方、行動が前向きになったりします。
仮に失敗しても、楽しい気分であれば「いい勉強になった」「二度と同じ失敗をしなくて済む」など
「ツイてない」と思わなくなり、楽しい時間を過ごせると思っております。

ジェノスグループ株式会社
営業本部 城南支店長  岡 博幸

2015年9月9日水曜日

ジェノスで扱っている商品について その2

前回は、当社の取り扱いアイテムに関してお話をさせていただきましたので、今回はそのアイテムの仕入をさせていただいている仕入先についてお話をさせていただきます。

商品を仕入させていただいているメーカーや問屋は全部で1000社ほどあります。仕入先ごとに、発注ロットや、仕入条件などがあり、お得意先様からの要望に合わせ商品を購入しお客様のニーズに応じ不備なくお届けをする事を日々心がけています。
一番多い仕入先は、当社の武器でもあるワインの会社が多いです。やはり16000アイテムとなりますと大変多くの仕入先との取引となります。
別に日本酒や焼酎の会社も多くあります。和酒の仕入先は都道府県別に数十社あり、最近は、日本酒専門仕入先との取組みが深くなっています。

当社は、インポーター業も行っていますので、要望に見合ったワインを海外から仕入をし、コストパフォーマンスの高いワインをお得意先様に販売していく事もしています。そのため、海外の仕入先との交渉も行っています。

ここ最近ですと、ダ・ヴィンチ グルメ シロップDavinci Gourumet Syrup)の輸入販売を開始いたしました。
この商品は、シアトルスタイルのコーヒー文化がベースとなり作られたフレーバーシロップで、世界中のカフェのプロ達から愛されているシロップなのです。
世界的有名なスターバックスカフェでも使用されていたとYOUTUBEなどでも動画がUPされています。
温めても香りが鈍らない事から、お菓子作りにも最適と言われ、コーヒーフレーバーだけでなく現在全部でフルーツシロップも含めて700種類以上のフレーバーを提供しています。
原材料となる糖分は、さとうきびを中心に使用しており、フルーツとの相性も抜群です。
当社では業務用に販売することはもちろん、自社で運営している通販サイト「WINEDAR」でも絶賛発売中です。
私のオススメは、【ダ・ヴィンチ グルメ チャイティー】です。
牛乳で割って、ミルクティーのようにして飲んでいます。その他、この時期だとかき氷のシロップとしても使えますよ。
ぜひ、購入してみてくださいね。

データや市場の同行などの現場の情報が蓄積されている私たちの商売は、仕入れたモノを売るだけでなく、飲み方提案やメニュー提案などのコトを伝える事もできます。沢山の仕入先や、販売先から得た情報を分析し提供することで、「多様な飲食文化を伝える事業オーナーと共に発展し、人々の心の豊かさを高めます」の事業理念とともに、飲食文化の発展に役立っていきたいと思っています。

お酒や飲料に興味があり、日々色々な商品に携わりたい方、ぜひ一緒に仕事をしませんか?
おまちしております。

ジェノスグループ株式会社

営業本部 仕入管理部長  原田 哲彦

2015年9月8日火曜日

8月25日の朝、自宅のベランダを見て驚きました。

朝顔市で子供が貰ってきた朝顔の鉢植ですが、これまであまりはかばかしくありませんでした。

7月上旬。蝉がミーンミーンとかまびすしく鳴く日々になっても、1つも咲かない日が何日も続きました。やっとのことで、アッ咲いた!と喜んだら1個だけで、また数日は咲かない日が続くというパターンでした。

それが、あんなに暑い暑いという猛暑酷暑の日々から、急にちょっとこんなに秋風が吹きまくって、深夜には肌寒さも感じてしまう晩夏に、まったく期待していなかったのに、その朝はなんと!!!

8個も咲いていたのです。この鉢としては最高新記録です。
しかも自己ベストである2個を4倍も更新しました。

さて、すべてはこういうことです。
朝顔だけじゃありません。生きている物は、みんなこうなんです。
これを読んでくださっている殆ど全ての方々が、小学生の頃に朝顔を育てた経験があると思います。友達の鉢よりも芽が出るのが遅いと、非常にヤキモキして焦ったことがありました。双葉になった、本葉になった、弦(つる)が伸びた、つぼみができた・・・。
すべて、周囲の友達の鉢と比べて一喜一憂したと思います。

しかし、結局最後には、どの鉢にも立派な花が咲いたのです。
要は、早い遅いの違いであって、鉢として優劣は無かったのです。
これは、人材でも全く同じです。

たまたま、この時期に結果が出る人と、もう少し待てば出る人、そういう違いだけのことです。何ら焦る必要はありません。
果報は寝て待てと言って本当に寝てばかりでは果報は届きませんが、努力している限り、いつか開花します。


日本ジェノス株式会社
代表取締役  上野 善久

2015年9月7日月曜日

二人の英雄と酒

今回は私が好きな歴史上の人物とお酒にまつわる話です。
織田信長と上杉謙信、みなさんはどちらがお酒に強いと思いますか?飲み比べをしたら、どちらが勝つでしょう?
実際の合戦でも織田軍と上杉軍は1577年、手取川で激突しています。織田軍は倍の兵力がありながらも撤退―つまり逃げ、上杉軍に追撃されたと言われています。もっとも、上杉軍は謙信が率いていたのに対し、織田軍は重臣の柴田勝家が大将で、信長は出陣していませんでしたが。
合戦と同様に、お酒でも謙信に軍配が上がります。信長は飲まないということはなかったようですが、酒に弱くほとんど下戸だったのに対し、謙信はかなりの酒好きだったようです。謙信が愛用したという盃が残っていて、直径12センチにもなる大盃や、馬に乗りながら飲んでいたと言われる馬上盃なるものも残っています。酒も戦(いくさ)も謙信は戦国最強だったのですね。
信長が愛した敦盛は「人間五十年、下天のうちをくらぶれば夢幻の如くなり」という一節で有名ですが、謙信の辞世の句は『四十九年 一睡夢 一期栄華 一杯酒』と詠み、『49年の我が人生は、一睡の夢のようだった。この世の栄華は、一杯の酒と同じである』という意味です。二人は、4つ歳が違いますが、どちらも数えの49歳で生涯を閉じています。二人のように、生涯があっという間だった、と振り返れるような、充実した毎日を過ごしたいものです。もちろん、一杯の酒とともに。


ジェノスグループ株式会社
営業本部 H&R開発部長  石川 義英

2015年9月2日水曜日

インターンシップ

インターンシップとは、在学中に、企業や官公庁、非営利団体等の様々な職場において、会社、仕事を少しでも理解する為、一定期間、就業体験をおこなうことです。
皆様は、既に、ご存じのことと思いますが、私の時代には、耳にしたことはありませんでした。
日本で本格的に導入されたのは、18年程前のことだそうですが、昨今は急速に関心が高まり、導入する大学や企業が増えているとのことです。
インターンシップを経験することにより、進路選択においての問題意識が生まれ、やるべきことを発見することで、授業や学生生活への目的意識を向上させる機会にもなり、自らの適正、能力について考えることにより、就職後のミスマッチを防ぐという目的もあるとのことです。
大学側も、これに期待をし、単位認定科目として設置するなどして推進するようになったとのことであります。

先日、弊社にも、1名のインターン学生がまいりました。
今回は、期間は10日間(土・日を除く)で、1日4~5時間(午前or午後)の就業体験となりました。
弊社社長による酒類全般セミナー、商品ピッキング、倉庫内業務、配送業務(同乗)、セールス同行等の体験という内容でした。
中目黒の本社でのセミナー以外は、3つのセンターにまたがっての体験となり、その内、千葉支店では1日の実施となりました。
実際の商品のピッキングの流れをピッキングリストの出力から、商品のピッキング、指定場所への保管、検品までをおこなって頂きました。
10日間にわたり、品出し、物流、営業面を一通り見て、体験をして頂いたことになります。
実際の業務の中でいろいろな質問もあり、非常に前向きな姿勢には、関心をさせられました。
最終日には、懇親会をおこない、今回の体験に関しての様々な話で盛り上がりました。

今回のこの実社会での体験を、今後に生かして頂けることを願っております。


ジェノスグループ株式会社
営業本部 千葉支店長 齋藤 敏行

2015年9月1日火曜日

宴会芸としてのカラオケ

 サラリーマンになった頃(古!)、当時は宴会芸を強要され、何も芸の無い私には宴会の都度、恐怖の時間でした。それでも何かやらないと相手にされません。仕方なく、歌っておりました。当時の場所は新宿のスナックが多く、きれいなママさんから、「貴方は声を出しているだけ。心が無い」と、きつくひどく言われておりました。

 その頃、経理もやっておりましたので、顧問税理士さんから「スナック」へ行こうと新宿3丁目に誘っていただきました。私のひどいカラオケを慮っていただいたのでしょう。そのとき客は私たちだけで、歌の練習を思い切りさせていただきました。同曲を続けて歌ったり、数曲歌ったりしました。

 そのうち、職場近くにスナックが出来、通うようになりました。通いだして1年ほど経ったおり、そのスナックに入ったとたんに、曲が流れ、見事なので当然歌手かと思ったのですが、なんと私のカラオケの録音だったのです(これ、ほんとです。少しうまくなった私の声でした)。

 それから、自宅近くにもスナックが出来て、お客さんと知り合いとなり、安くて歌い放題で、そのほかバーベキュー、花見、ボウリング大会、温泉旅行など、カラオケつながりで、よくお客さんと一諸に遊びました。

 皆さんの年代は、カラオケの上手な方が多く、うらやましい限りです。ただ、そうでない方は、とにかく練習です。恥をかかないように陰でうまくなりましょう。
 自分の顔に似た歌手を真似て、自分の得意な型からの選曲をして、ほんの少し「きざ」にして、歌詞に心を込める、ということがポイントです。

 ただし、自分の歌う時だけ機械でエコーと音量を大きくして、他人のときはエコーを弱くすることはいけません。(酔っ払いと)他人は、思いのほか、よく見ています。



日本ジェノス株式会社
監査役 吉田 温